症状について① 〜[身体]の症状〜
かめと申します。
今日も皆さんが良い一日を過ごせますように。
前回までは、僕がうつになって現在にいたるまでの経緯をまとめました。
ここで一度、病気について考えたことをまとめていこうと思います。
今回は、症状について。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法などは様々です。
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僕はうつという病気になったわけですが、病気になって自分の身に起きた症状をまとめていきます。
大まかに分類すると、以下のようになりました。
[身体]
・頭痛
・不眠、悪夢
・だるさ
[思考]
・構築的に考えることができなくなった
・文字が読めなくなった
・頭を使うとすぐに疲れる
・常にぼーっとしている
[欲・感情]
・欲がなくなった
・やる気がなくなった
・能動的な感情がなくなった
・辛さと恐怖感が募る
・発作的にパニックになる
・すぐに泣くようになった
[記憶]
・記憶がぐるぐる巡った
・記憶が奥深くにしまわれた
[五感]
・視界の情報量に敏感になった
・光に敏感になった
・天候に敏感になった
・音楽に敏感になった
挙げてみるとなかなかたくさんの症状がありますね…
僕の場合は診断も一応うつ病ではなくうつ状態ではあるし、もっと症状の重い人もたくさんいるので、これでもまだ少ない方だとは思います。
しかし辛いのは辛いのです。
ですが、辛いとばかりも言っていられないので(そういう時期は一旦通り越しました。)、
僕の頭と身体に起こったうつという不思議な状態を記録しておこうと思います。
全て説明すると長くなってしまうので、
今回は[身体]の症状について詳しく書きます。
[身体]に現れた症状には、主に以下の3つがありました。
・頭痛
・不眠、悪夢
・だるさ
まずは頭痛。
これは以前にも書きましたが、体調を崩し始めた頃から、ずっと慢性的な頭痛があります。
偏頭痛のようなズキズキする痛みは始めのうちに比べればなくなりましたが、緊張型頭痛のようなジワジワした痛みは常にあります。
特に、頭を使うと頭が痛くなってきます。
痛みというのは最近はあまり意識しなくなりましたが、常に頭が重い感じです。
次に、不眠と悪夢。
これにはかなり悩まされました。
実家に帰ってから規則正しい生活を心がけてはいましたが、初めのうちは夜がほとんど眠れませんでした。
一応睡眠薬は飲んでいましたが、
眠ったとしても、2時間くらいですぐに目が覚めてしまい、しばらくしてまた寝て、またすぐ起きて、また寝て、、、
それを繰り返していたらいつのまにか外が明るくなっていて、また一日がはじまってしまう。
一番酷かったときは、起きているのか寝ているのかさえよくわかりませんでした。
朝に起きた感覚は全くなく、もちろんスッキリ感など全くなく、起きたときの気持ちは、今日も夜をなんとか乗り切ったという感覚でした。
夜がとても怖かったです。
しかも、
そのわずかながら寝ているときにも、必ずと言っていいほど悪夢を見ていました。
どこかをぐるぐる彷徨ったり、エンドレスのサバイバルゲームの中にいたり、自分のドッペルゲンガーが彷徨ったり、
深層心理というものなのか、そのようなぐるぐるした夢ばかりをいつも見ていました。
起きると同時に悲鳴をあげたこともありました。そんなことは初めてだったし、映画みたいでした。
結局、病院を地元の病院に変えて薬を睡眠薬重視にしてもらってから、徐々に眠れるようになり、夜への恐怖もやわらいでいきました。
いまでも1、2度は起きてしまいますし、ぐっすり眠れることはまだありませんが、だいぶ安心して眠れるようにはなっています。
最後に、だるさについて。
これも頭痛と同様、体調を崩した初めの頃は床にへばりつくように生活をしていて、だるくて起き上がれない日々でした。
とにかく体が重いのです。
最近では全く起き上がれないということはなくなりましたが、朝なかなか起き上がれなかったり、ソファに沈み込んで動けない日があったりしています。
だるさ感としては、病気になる以前にも休みの日には疲れが溜まってなかなかベッドから起き上がれなかったり体が重かったりすることはよくあったのですが、それと似ているようで全く違う感じがしています。
毎日ずっと休んでしかいないのに、いきなり最高潮に疲れの溜まった日のようなだるさに襲われたりします。
自分でも理解が追いつきません。
疲労感とは全く質の違っただるさ。これは一体何なんでしょうか。よくわかりません。
特に午前中が動けないことが多いです。
日内変動というものかもしれません。
いまの生活は、午前中はだいたいソファに沈んでいて、午後から立ち上がって動き出すといった感じです。
また、雨の日や寒くなった日など気温や気圧の変化がある日もだるさが増す日が多いです。
以上が[身体]に関する症状でした。
病気になってから、自分の身に起きている不思議すぎる状態に、否が応でも心と脳と身体の関係について考えざるを得ませんでした。
それらの関係についてはまた追々まとめるとして、
次回は[思考]についての症状を詳しく書こうと思います。
うつの経緯⑦ 〜体調安定
かめと申します。
今日も皆さんが良い一日を過ごせますように。
前回は実家での引きこもり生活について書きました。
今回は、その後の生活から体調が安定し、現在(ブログ開設時)に至るまでを書こうと思います。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法などは様々です。
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実家に帰ってからしばらくは、引きこもりのような生活をしていました。
ですがこのあたりから少しずつですが回復に向かいます。
少しずつ考えることができるようになり、リハビリをしようという思いが湧いてきました。
まずは家にあるもので少しずつ頭を使ってみようと思い、折り紙をやってみることに。
鶴などの簡単なものではなく少し難しいものをやってみようと思い、猫や花など複雑なものを調べて折ってみました。
2つくらい折ると、日が暮れていました。
また、同じように、中学生レベルの算数の問題(母の内職)があったので解いてみました。
全然解けません…。
1時間かけて1ページも進みませんでした。
この2つの出来事には自分の頭の働かなさにだいぶ途方に暮れました。
こんなこともできないのか、と。
物事を構築するように考えるということが、ほとんどできなくなってしまっていました。
そしてすぐにどっと疲れてしまいます。
また、僕はこのあたりであることに気がつきました。
あらゆる欲求と感情が感じられなくなってしまっているのです。
何もしたいとは思わないし、
何をしても、
楽しいとも
気持ちいいとも
おいしいとも
美しいとも
何とも思わない。
三大欲求もなくなり、ぼーっと過ごしているだけ。
ただ、辛いという感情だけがあるのです。
この「欲と感情がなくなったこと」は、僕の中では一番大きい症状だと思っています。
(症状については後日まとめようと思います。)
この時は、
うつ状態なので負の感情に支配されてしまっているのだなと単純に思っていました。
一体自分の中の何が、どこが、どのようにおかしくなってしまっているんだろう?
と、自分のことがわからないことがとても不思議でモヤモヤして辛くて気持ち悪くて、
色々調べてみることにしました。
(こちらも後日まとめたものを書こうと思います。)
うつは心の病気でもあるが、
「そもそも脳の病気である」
ということに、この時気がついたのです。
自分のどこがどういう仕組みでおかしくなっているのかということと、
脳が治らなければどうしようもない、ということがわかったことで、
病気を受け入れてゆっくり過ごさなければならない、という考えに至りました。
そして、このあたりから、徐々に友達と会おうと思い始めるようになりました。
おそらく、引きこもりになってはいけないという危機感と、誰ともコミュニケーションをとらずひとりになるのは寂しいし辛い、という思いからだろうと思います。
病気を受け入れ始めたことによって、友達にも話をしていこうと思えるようになりました。
まずはあまり仕事とは直接関係のない友達で、かつ理解をしてくれそうな友達から、何人かに連絡をして会ってもらうことになりました。
街に出るとエネルギーが吸い取られてしまいそうでとても辛かったですが、なんとか堪えていました。
会って事情を話して、ただただ聞いてくれて。
たぶん見た目も悲壮感が漂っていて、喋りもボソボソ声でしどろもどろで、内容もキツくてネガティブなものばかりだっただろうと思います。
体調が悪くなり、家まで送ってもらったり、迷惑をかけてしまった友達もいます。
みんな良い人ばかりです。
僕はとても良い人に恵まれていると思いました。
ありがとう。
また、これまでの友達だけでなく、SNS上でも新たな友達ができました。
SNSは初めは情報収集のために活用をしていましたが、そのうちに同じような境遇の人との繋がりができるようになりました。
リアルでの人付き合いとは違い、自分で取捨選択をすることができるので、良くも悪くも周りのしがらみは気にせずに関係を築くことができます。
SNS上で友達ができたおかげで、様々な情報を得ることもできましたし、励ましあったり、弱音を吐いたり、気軽にコミュニケーションが取れることで、心の安心にはとても効果がありました。
また、自分の状態を客観的に見ることができる良い機会にもなりました。
(深入りしすぎてしまうと傷の舐め合いや他人と比較をしてしまったりと、逆効果になってしまうので、ある程度考えられる冷静な状態になってからでないと注意が必要だとは思います。)
病院はどうしたかというと、実家近くの病院に転院することになりました。
初めは新しい病院に電話するのでさえ億劫で、電話するのに2、3日かかったりしていました。
前の病院で薬を長めにもらっておいたこともあり、少し余裕をもって予約をしようと思いました。
しかし、なんと地元の病院は1ヶ月待ちでした。
田舎の病院は混むんだなと。
病院の数が少ないからかもしれません。
新しい病院の先生は、前の病院とはうって変わって、朗らかなおばちゃんでした。
話をよく聞いてくれて、とりあえず好きなことをしてゆっくり過ごしたらと言ってくれました。
眠れないことが辛いと話したので、薬の方針を睡眠薬重視に変えてもらいました。
薬を変えたお陰で夜に普通に眠れるようになりました。
普通とは言っても気持ちのよい睡眠とは程遠いですが、最悪の状態からは逃れられました。
すると以前から意識をしていた規則正しい生活リズムも少しずつ整うようになってきて、体調が安定していきました。
薬を変えてもらったことの影響はかなり大きかったです。
病院の先生によってだいぶ変わるんだなということを実感しました。
そして、他にもいろいろなことをリハビリとして取り組んでいきました。
その過程で良くなったこと、悪くなったこと、いろいろありました。
(これらも後日書いていきます。)
そんなこんなで、上がったり下がったりしながら、少しずつ体調が安定していきました。
安定と言っても超低空飛行での安定です。
実際にはまだ一日中ソファから動けないような日もあります。
ですが、ひとまずは落ち着いて物事を考えられるようにはなってきました。
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急ぎ足ではありましたが、経緯①〜⑦まで、僕のうつはこのような経緯で現在(ブログ開設時)に至りました。
長かったですが、やっと追いつきました。
実はここ最近は季節の変わり目だからか、また体調が不安定になってきています。
気をつけないと。
まだまだきちんと治るまでには程遠いですが、これまでの経緯をまとめてみて、
あの頃よりは良くなっているんだなぁと改めて思うことができましたし、
体調を意識しながら生活ができるようになっただけ、回復はしているんだなと思えます。
これからは、病気について考えたことや、リハビリで取り組んだこと、これから起こることなど、また少しずつ更新していければと思っていますので、
次回からもどうぞよろしくお願い致します。
つづく
うつの経緯⑥ 引きこもり生活
かめと申します。
今日も皆さんが良い一日を過ごせますように。
前回はうつによる逃亡生活について書きました。
今回は、その後実家に帰ってからの生活について書こうと思います。
実家に帰った僕は、しばらく引きこもり生活をすることになってしまいました。
※だいぶ心が荒んでいた時期なので記憶が曖昧です。思い出せる限りで書きます。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法などは様々です。
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実家へ半ば強制的に戻された僕は、それはそれはとても落ち込みました。
兎にも角にも恥ずかしかった。
20代も後半、年齢的にはもう立派な大人なのに、親を心配させてしまい実家へ連れ戻されるなんて。
こんなに恥ずかしいことはない。
世間的にはもうすぐおじさんと呼ばれてもおかしくないような年齢。
結婚をして子供がいてもおかしくないような年齢。
実家は田舎なので、近所の目も気になる。
家に引きこもるしかなくなってしまうではないか。
親の信用を得られていなかったのか。
過保護にもほどがあるのか。
兄弟にも無様な姿を知られてしまう。
本来はおばあちゃんの面倒を見なければならないのに。
あまりにも情けない…。
・・・
いろいろ考えてしまいました。
結局辿り着いた考えは、
親を心配させないこと
でした。
信用とか過保護とか、そういうレベルの話ではありませんでした。
最悪の場合、行方不明になるかならないかの問題でした。
いつまでたっても親は親だし、子は子です。
そしてかけがえのない家族です。
大切な家族同士、大変なときに助け合うのは至極真っ当なことではないか。
信頼をしていなかったのは僕のほうではないか。
親の脛はかじられるときにかじっておこう。
無理矢理にでもそう思うようにして、開き直ることにしました。
親の言うことに反発するのもやめ(反発する気力もなかったですが)、すべてを受け入れました。
しかし、受け入れて開き直ったはいいものの、みるみるうちにエネルギーがなくなっていきました。
親ともろくに話さないし、
職場との連絡も億劫で、
友人やあらゆる人からの連絡も無視をしてしまっている。
近所の人からは隠れるように引きこもる。
ほとんど誰ともコミュニケーションをとらない日々が続きました。
都会に住んでいた時や、友人の家にいたときにはわりと出歩いていたので、ある程度の刺激に触れて生活をしていましたが、田舎の実家ではやることが何もありませんでした。
ひたすら引きこもり、ぼーっと過ごしてしまっていました。
唯一、親と共に生活をするということで、毎日規則正しい生活だけは半ば強制的に心がけることになりました。
夜に寝て、朝起きて、三食食べる。
まずはここからです。
しかし心がけとは裏腹に、身体が脳がそれを許しません。
夜がほとんど眠れませんでした。
処方された睡眠薬を飲んで寝ようとしても、寝られない。
それでも目を閉じて、リラックスの音楽を聴き、いつのまにか眠る。
しかし2、3時間ですぐに目が覚める。
眠っている間にも、悪夢ばかり見る。
眠れないときにはいろいろなことが頭の中を巡り、とても辛くなる。
いつのまにか眠る。
その繰り返しでいつのまにか外が明るくなる。
・・・
そんな長く辛い夜が毎日続きました。
もはや起きているのか寝ているのかすらも、よくわかりませんでした。
とにかく夜が辛かった。
一日中ぼーっとして、
時々発作的に色々頭を巡って、辛かったことはずっと残って、楽しかったことはすべて消えてしまいそうで。
これまで積み上げてきた自分がなくなってしまいそうな恐怖と戦っていました。
このような日々を過ごし、どんどん無気力になっていってしまいました。
時間は沢山あるから暇かと思ったらそうでもなくて、何をやるにも時間がかかるしぼーっとするから、あー暇で暇で仕方がない、という感じは全くしません。
仕事をしていた頃は、あれだけ毎日一分一秒を大事にしていたのに。
(たぶん暇だと思えるようになってきたらやる気や余裕が出てきて回復してきたということなんだろうと思います。)
将来のことなどを考えなければ進まないけれど、ネガティブな方向に考えてしまいそうで、考えたくなくなります。
そもそも考えることすら疲れてしまいます。
どこにも何も進めないし、どう進んでいいかもわからない。考えられません。
こんな自分が惨めで情けなくて嫌になります。惨めだし、どうしようもなく不安で怖くて何も自信がなくなりました。
こんな思いが延々と頭の中をグルグルと巡って、疲れて、眠って、眠れなくて、、、
そんなことの繰り返しだった気がします。
・・・
このように思い出して書いていると、なかなかにひどい状態でしたねぇ…。
お見苦しい内容が続き申し訳ないです…。
さて、実家に戻るという選択は、よかったのでしょうか?
(もしかしたら入院とも似たような部分があるのかもしれません。)
メリットとデメリットがあると思いました。
まずメリットとしては、
ある意味生活が拘束をされるので、最悪の状況を免れることができます。
そして、家族や周囲の人の安心を得られます。
人を信頼をする、人を頼ることの大切さを再認識することもできました。
デメリットとしては、
引きこもりになってしまうリスクがあると感じました。
たまにニュースで結構な大人の男性が引きこもりになっているようなことを問題視しているような内容のものを見かけたりしますが、
僕も以前はなんで引きこもったりしちゃうんだろう、だらしない、外に出たほうが絶対いいのに、と不思議に思っていたような人でした。
ですが中にはならざるを得ないような人もたくさんいるのではないかと思いました。
ある程度の田舎であれば、近隣付き合いなどの小規模なコミュニティがあり、噂話などは絶えません。(コミュニティがあることは基本的には良いこととは思いますが。)
周辺を散歩などしていても、平日の昼間などには不審者に間違えられたりもします。(実際に間違えられました。笑)
大人の男というだけで、
平日には働いていないとおかしい。
近所や公園、学校の近くなどで普段見かけない人がいたら怪しい。
自らこのような状態になってみて、もう少し色んな人が生きやすい社会になればいいのになぁとしみじみ感じてしまいました。
もちろん状況や立場が違えば意見は変わるので、何を批判するでもありませんが。
単なる被害妄想かもしれませんし、本当に悲壮なオーラを醸し出してしまっていたのかもしれません。笑
(対策としては、犬を飼って散歩をするといいかもと思いました。)
個人的には、ある程度の田舎でも、平日に休んでいてもおかしくはない、という常識がもう少し浸透していけば、引きこもりの人は減るかもしれないなぁと感じました。
引きこもってしまうと運動もしなくなるし、日光を浴びることも少なくなるので、
健康的な病気の回復のためにはよくないことが多くなります。
また、実家に戻されてしまったという事実と、外部からの刺激が少なくなることから、
その分、自責の念に駆られる時間が増えることになったと感じます。
これも案外大きいことかもしれません。
すると余計に状態は悪化していってしまいます。
家族や周囲の人は安心できるでしょうが、本人の状態が良くなるかどうかの判断は微妙で難しそうだと感じました。
(あくまで僕自身の体験からのお話です。)
少々無理矢理なまとめになってしまいました…
長くなってきたので続きは次回にします。
つづく
うつの経緯⑤ 逃亡生活
かめと申します。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
皆さんが良い一日を過ごせますように。
前回は休養中の仕事との付き合い方について書きました。
今回は、休養開始からの逃亡生活について書こうと思います。
うつ病になった僕は、一度すべてのしがらみから逃げ出し逃亡をしてしまいました。
お恥ずかしいですがその時の経緯についてのお話です。
笑って読んであげてください。
※だいぶ心が荒んでいた時期なので記憶が曖昧です。思い出せる限りで書きます。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法などは様々です。
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うつ状態が酷くなり仕事に諦めをつけざるを得ない状態になったことで、本格的に休養の日々が始まりました。
と言っても、まずは毎日ただ廃人のように眠るだけ。
うつもありましたが、身体にもかなりの疲労が溜まっていたので回復を求めていたのか、ひたすら眠りました。
おそらく2週間くらいは、ほぼ何もしていなかったと思います。
記憶がほとんどありません。
身体の疲労がある程度とれ少し動けるようになってからは、休んでいることに嫌気がさし、自暴自棄になっていました。
自分は一体何をしているんだろう?
という問いが常に頭に貼り付いていました。
そしてその頃から、
「誰にも迷惑をかけたくない」
という気持ちがとても強くなったのです。
元々子供の頃から性格的に、人に迷惑をかけないようにかけないように生きてきてしまった人生でした。
なので、この時の状況が耐えられなかったんだと思います。
何のしがらみもない、誰にも迷惑のかからないところへ行かなければならないと思ってしまいました。
(これって今思えば軽い希死念慮的なことだったのかもしれませんね…)
僕はこの頃、社会人になったにも関わらず、祖母の家に住まわせてもらっていました。
祖母とは学生の頃から、かれこれもう10年以上も二人暮らしをしています。
職場が近いというのと、祖母が一人では心配だというのが一応の理由ですが、
正直を言うと、僕の稼ぎが少ないという理由が根底にはありました。
祖母は、このような状態になってしまった僕を、とても心配してくれました。
しかし、ただでさえ住まわせてもらっているのに、働けもせず、迷惑でしかない状況。
これ以上心配をかけたくない
これ以上迷惑をかけたくない
という思いが日に日に募りました。
実家に帰っても親に迷惑がかかる。
パートナーのところに転がり込んでも、迷惑がかかる。
友達にもこんな状態は見せられない。
誰に相談するにしても、どこかで繋がっていて、仕事や将来のことを考えざるを得ません。
何のしがらみもない、誰にも迷惑のかからないところへ行きたい。
そして僕は、ひとり旅に出ようと思いました。
といっても、どこにも行くあてがありません。
するとその時、友達の中でも、他との関係がほとんどない友達がいることを思い出しました。
他にあてもないので、とりあえずその人に相談をしてみることにしました。
いきさつを色々話し、いまの状態をさらけだしました。
その友達は、過去にもうつと関わったことがあるらしく、広い心で受け止めてくれました。
そして僕は、家族には疲れを癒して今後のことをしばらく考えたいから旅行に行くとだけ伝え、
実際にはその友達の家に転がりこませてもらうことにしました。
すべてを投げ出し、逃亡したのです。
すべてのことから、逃げたのです。
その友達は、基本自由に過ごしていいよと言ってくれたので、遠慮なくお言葉に甘え、毎日をゆっくりと過ごさせてもらいました。
友達も気を遣ってくれて、何も聞かずにそっとしてくれていたので、何も考えずにゆっくり過ごすことができました。
本当に何も考えていなかったので、あまり覚えていません、、、笑
その頃はちょうどサッカーのワールドカップが開催されていました。
僕は幼稚園から高校までずっとサッカーをしていたので、ワールドカップの試合だけはかかさず観ました。
日本代表が活躍し盛り上がっても、気分はちっとも盛り上がりません。
あとはひたすら眠ったり、
友達の家にある漫画を読んだり、
DVDを観たり、
出歩ける日には外食をしたり、
漫画喫茶へ行ったり、
外でひたすらぼーっとしたり、
友達に付いて人生初のパチンコに行ってみたり、
お風呂にもろくに入らず、髪や髭も伸びっぱなしで、
なかなかのクズっぷりでした。
何の縛りもなく、何の目標もなく、何のやる気も出ず、生きることに意味を見出さず、ただただつまらない毎日を送り続けました。
一体こんなところで何をしてるんだろう?
人生どうなるんだろう?
まぁどうでもいいや、
と毎日思いながら。
そんな生活を1ヶ月ほど続けました。
ある日、その日は病院へ行く日でした。
病院に行く気力がないから行かなくていいやと言う僕を友達が励ましてくれ、
なんとか重い腰を上げ、電車に乗り病院に向かいました。
「以前と何も変わらないです。」
という一言だけの診察を終え、病院から外へ出たその時、
急に見ず知らずのおじさんに捕まえられました。
??????????
??????????
手帳を見せられ、「〇〇署のものですが…。」
ドラマみたいなシーンでした。
急な展開すぎて目の前が真っ白になりましたが、側から親が出てきたので、状況を理解しました。
どうやら捜索願いが出されて、僕は警察に捕まったようです。
後日話を聞くと、どうやら、職場の所長と親が連絡を取り、心配性の所長が、万が一のことがあってからでは手遅れなので捜索願いを出したほうがよいのではないか、と提案をしてくれたそうでした。
親には心配をかけたくなかったので、数日おきにメールを送ってはいました。
僕としてはいたって普通の会話をしていたつもりでしたが、あまり大丈夫なようには伝わっていなかったようで、とても心配をしてくれていたようです。
毎日がぼーっとしていてあまり記憶がない日々でしたが、この時の母親の悲しみと安堵の混ざった顔だけは、鮮明に覚えています。
そしてそのまま、親の車で連れられ実家へ帰ることに。
このような憐れなかたちで、僕の逃亡生活は幕を閉じました。
今でこそこの時のことを冷静に思い出していますが、当時はわけのわからない状態だったと思います。
放心状態だった気もしますし、なんか言い訳がましく笑っちゃってたような気もしますし、激しい自己嫌悪状態だった気もしますし、とにかくわけのわからない心理状態でした。
親にも誰にも心配や迷惑をかけたくないがために逃亡生活をしていたはずなのに、
それが逆にこんなにも迷惑をかけてしまうことになってしまったことが、
たまらなく自分を責めることに繋がってしまいました。
もしも自分でも気づいていないような希死念慮のようなものがあったとするならば、結果的にはこうなってよかったのだとは思います。
親や祖母、パートナー、職場のみんなも安心をしてくれましたし、
頼らなかったことが、逆に心配をかけることになるんだと知ることができたのも、よかったとは思います。
ですが、このようなことになってしまったこの時の僕は、さらに落ち込むことになってしまいました。
せっかく初めよりは少し良くなってきたのかなと思っていたのに、まったく0からのスタートに戻りました。
いやむしろかなりマイナス状態からのスタートになってしまいました。
いま思い出しても、本当に恥ずかしい、、、
ただ、最後にひとつだけ書いておきます。
僕は、「死にたい」ということだけは考えてはいませんでした。
なぜなら、死ぬことは最も迷惑をかけてしまう行為だと思っていたからです。
「迷惑をかけたくない」ということが最も上位概念としてありました。
そう思っていれば死ぬことはないのでは?とも思っていました。
この考え方が絶対に正しいとは言い切れませんし、自殺願望と違って希死念慮という概念で考えれば、僕はたしかに無意識にどこかへ逃げてしまいたいとばかり思っていたので、いま改めて思い返せば、この時捕まっていなければ、ひょっとしたらひょっとしてしまっていたのかもしれません。(そんなことは考えたくもないですが。)
親には本当に感謝しています。
いつか絶対これでもかという親孝行をしてあげようと思います。
そして逃亡生活をさせてくれた友達にも、とても感謝しています。
いつか恩返ししよう。
ふぅ。この時のことは、思い出して書くのもちょっとしんどかったです…笑
この頃に比べたらいまはだいぶ良くなってるんだ、と思い込むようにしています。
いつかこの時期も良い経験だったと思える日が来ることを願って。
次回は、実家へ戻ってからの生活を書こうと思います。
つづく
うつの経緯④ 仕事との付き合い方
こんばんは。かめと申します。
前回は心療内科での診察について書きました。
今回は、心療内科受診後の仕事との付き合い方について書こうと思います。
(逃亡生活を書くと言っていましたが、後に回します。)
ここから僕はどんどん精神的に参っていくことになるわけですが、休養中の仕事とのけじめのつけかたはどのようにしたのでしょうか?
※はっきり言ってここから先はだいぶ意識が朦朧としていたので記憶が曖昧です。思い出せる限りで書きます。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法は様々です。
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心療内科を受診してとりあえずは重いうつ病ではないことが判明したので、その旨をまず職場に報告し、今後どのように生活をしていくかということを所長と話し合いました。
なにせこの頃の僕は、仕事=生活、職場の人=家族のようになっていたので、仕事の進め方を考えることがそのまま今後の生活を考えることになりました。
家族やパートナーと過ごしている時間より、職場の人と過ごしている時間のほうが圧倒的に長かったのです。(もちろん楽しくやっていましたが、家族やパートナーには迷惑をかけてしまっていたなぁと思います。)
まずは、仕事内容を自分にしかできない仕事と、他の人でもできる仕事に分けて考えました。
自分にしかできない担当の仕事内容がまだいくつか残っていたので、それは自分がやらなければどうしようもありませんでした。
病院では最低でも1ヶ月は何もせず休みなさいと言われたので、仕事のクライアントさんには軽い事情だけを説明し、なんとか仕事を1ヶ月遅らせてもらえるようにしました。
これで1ヶ月の猶予ができたので、もちろん体調を最優先に考慮しながら、基本家で寝ていて、調子の良いときに少しだけでもリハビリがてら自宅のパソコンで取り組む、という方法をとることにしました。
しかし全然甘かった。
基本一日中寝ていて、ご飯の時くらいしか起き上がることができないような状態がしばらく続きました。
なんとか起き上がれる日も、終始ぼーーっとしてしまいます。
なんとかパソコンに向かうことがあっても、全く手がつかず、パソコンの画面が頭に入りません。
そしてすぐにどっと疲れてしまいます。
もちろん常時頭痛は継続中です。
なにもやる気が起きません。
仕事を進めなければならない、とは思うのですが、全く何もできません。
所長と連絡は取るのですが、何も説明ができず、自分が何を話しているのかもよくわかりませんでした。
色々やろうやろうと焦るから進められないのかもしれないと思い、やることを一つずつ書き出し、めちゃくちゃ簡単なことから一つずつこなしていく方法を試みました。
しかしそれでも全くできません。
そもそも紙に書き出すことすらできませんでした。
もはや頭の中がショートして停止してしまっていたのです。
こんな状態なので、仕事を進めることは諦めました。
仕事のことを考えるだけでも重荷になるので、職場との連絡も極力控えるようにしてもらいました。
そもそもこのようになった原因として、
仕事での膨大な作業量、
仕事でのトラブル、
仕事のプレッシャー、
所長とのやりとり(かなり叱られたりもしてました。もちろん愛のあるものです。)、
自分を変えなければならないと無理をしたこと(細かなことでも注意してもらうことを望んでまでいました。)、
など、仕事関係のことが原因の大半を占めていました。
なので、まずは病気の原因を取り除くこと=仕事のことを考えないことに専念しなければならないと思いました。
仕事のことは諦めて、無責任にもすべて放り投げてしまったわけです。
仕事はどうなったかというと、正直わかりません。
ただ、必ず他の誰かにやってもらわなければならないことは確実だったので、罪悪感はとてもありました。
他の人も多かれ少なかれ僕と同じようにかなりの仕事量をこなしていたからです。
本当に迷惑をかけてしまいました…。
休養に専念するために仕事から一切離れてひたすら休むことになってから、罪悪感は感じながらも仕方ないんだと思い込み、ほんの少しだけほっとできたような気がしました。
しかし、
ほっとするのも束の間、担当していた仕事の現場である大阪で、大きな地震が起きたのです。(職場は愛知です。)
しかも、なんと震源地は現場のすぐ近くでした…。
建築物にとって地震は最大の天敵です。
ましてや住宅。一家の命が関わります。
仕事の情報は極力入れないようにしていましたが、クライアントと職場とのメールのやりとりなどで少しだけ情報は入ってくるので、どうしても気になり見てしまいました。
幸い人命は無事でしたが、案の定建築自体にはかなりの被害が出てしまっていたようです。
とても苦労をして完成した直後の地震による被害…。
もう気が気じゃありません。パニックです。
こんな時に自分は何をしているんだ…。
何でこんなことになってしまったんだ…。
しかし考えてはいけないんだ、と無理やりにでも違うことを考えようと必死でした。
そんなこんなで追い討ちをかけられてしまい、さらに落ち込み状態が悪化してしまいました。
さて、うつ病になったときの仕事との付き合い方についてですが、経験から言うと、
重要なのは、
「スッパリ割り切って原因となることからすぐさま離れること」
だと思います。
僕の場合、病気になってまで仕事をなんとかしなければと考えてしまっていたので、できない自分が浮き彫りになり、何も良いことはありせんでした。
頑張ろうとしても体調的にどうせできないので、すぐに割り切って、無責任でもいいので、誰かに丸投げしてしまえばいいのです。
どれだけ重い内容でも、たぶんなんとかなるのです。
迷惑をかけてしまいますが、治った後にちゃんとお礼をすればいいのです。
とても自分勝手な考えですが、今となっては僕の場合はそのように思っています。
このような考えがすぐにできていれば、悪化も抑えられ、もっと早く休養に専念し始めることができたのではないかなぁと思います。
まぁそんな簡単にはいかなかったとも思いますが。
うつになる人は責任感が強い人が多いとよく聞きます。
誰かのために使っていた思いやりを、自分のために使えるようになれるといいのではないでしょうか。
つづく
うつの経緯③ 心療内科での診察
こんばんは。かめと申します。
前回は右往左往病院巡りをしたことを書きました。
今回は、病院巡りの末に辿り着いた心療内科での診察について書こうと思います。
心療内科とはどのようなところで、一体どのような診察をされるのでしょうか?
************************
すぐに予約のできる心療内科を見つけた僕は、受診前に診察で何を言おうかを考えていました。
下手にすべてを伝えてしまうと、すぐにうつ病と判断されてしまうかもしれないと思ったからです。
診察日当日、電車を乗り継ぎ、いざ心療内科へ。
受付をすませ、まずはアンケートをもらいました。
最近2週間の心身の状態に関するアンケートです。
各項目に点数がついていて、その合計点数を出すようなタイプのものでした。
インターネットで調べていたときによく出てきた、うつ病セルフチェックと同じような内容でした。
どうせ点数が高いほうがうつ病と判断されるんだろうなとは思いながらも、ここまできてうそを書いても意味はないので、素直に点数をつけました。
案の定、高得点を叩き出しました。
その後待合室でしばらく待つことに。
しかし予約の時間を過ぎても全然待合室の人数が減りません。
心療内科は患者さんによっては時間がかかる場合もあるため、予定よりも診察時間が遅れることがよくあるそうです。(そういう旨の貼り紙がありました。)
やっと名前が呼ばれ、まず初めに助手の看護師さんに15分ほどかけて大まかな話を聞いてもらいました。
仕事が大変だったこと、何もできなくなったこと、知らない場所で寝ていたこと、頭痛が酷いことなどなど。
事前に何を伝えるべきかを少し考えていたので、明らかなうつ病と思われないように、言葉に気をつけながら一通りを話しました。
その後もう一度待合室で待ち、しばらくしてまた名前が呼ばれて診察室へ。
やっと先生による診察です。
診察室の中へ入ると、先生はヨレヨレのおじいちゃんでした。
先ほどの看護師さんのメモを見つめ、目を細めて頭を抱えていました。
え…?何か変なことでも言ってしまったか…?といきなりらとても焦ったことを覚えています。
しかしその先生は、普通に喋るときにも癖のように頭を抱えながら話している方だったので、すぐに焦りは消えました。まぎらわしい。
むしろ、頭を抱えて悩みながら接してくれる方だったので、好感はもてました。(若干の頼りなさはありましたが。)
元気よくハキハキした感じで話されても、心を病んでいる状態の人には、それだけで辛いものがあると思います。
こういう人が心療内科の先生になるんだなぁ、と思いました。
アンケートとメモをもとに、いくつかの質問をされました。
聞かれたこととしては、
・発症までの経緯(主に仕事のこと)
・何が辛いか
・死にたいと思うか
・家族構成
・これからのこと(主に仕事を休めるか)
主にこれらのような内容でした。
(気力がなかったので正直あまり覚えていません…。思い出せる限りを思い出しながら書いています。)
そしていよいよ先生の口から診断結果が伝えられました。
診断結果は「軽いうつ病」
いわゆる重いうつ病の一歩手前で、脳内の伝達機能が低下しているから、薬を飲み最低でも1ヶ月以上は休みなさい、とのことでした。
明らかに仕事での圧倒的な過労とストレスが原因なので、そんな仕事はやめちゃえば?と言われました。
軽いとか重いとか曖昧だなぁとは思いながらも、軽いと言われ少しほっとした自分がいました。
仕事をやめちゃえば?という言葉には少しイラッとしましたが、イラッとする気力もなく、客観的に見たら当たり前だよなと冷静に受け止めていました。
しかし仕事についてはすぐには割り切ることはできませんでした。
クリティカルな仕事は終えて一旦は休める状況でしたが、まだまだ自分にしかできないやりかけの仕事がたくさんあり、先延ばしにしている状況であることも事実。
いま考えれば、あのときは仕事をどうしよう?ということばかりを考えてしまっていました。
まったく頭が動かずパソコンも見れない状態にも関わらず、休みながら在宅で、調子のいいときにやれることから少しずつでも仕事をしなければ!と考えていたのです。
先生にもその旨は一応伝えると、案の定極力やってはいけないとは言われました。
(実際その後もまったくできませんでした。)
薬については、いわゆる抗うつ剤を処方されました。
脳を落ち着かせ、リラックスさせるような働きをもつ薬でした。
次に、診断書は必要かと聞かれたので、必要はありませんでしたが一応もらうことにしました。
おそらく一般的な企業の会社員は企業内で色々な手続きをするために診断書が必須になるようです。
また、医療費の軽減措置などの各種制度の手続きの際にも診断書は必要になります。
このときは何も知りませんでしたが。
先生が診断書を書いている様子を見ていると、診断名の欄には「適応障害、うつ状態」と書かれていました。
口頭では「軽いうつ病」と言われましたが、詳しくは「適応障害とうつ状態」と判断をされたようでした。
適応障害とは、明らかな原因があり、その原因から遠ざかることでうつ状態が比較的早くなくなっていくものを指すそうです。
この診断書を見て、うつ病ではないと判断されたんだな、と安心しました。
しかし、非常に悪い状態であることに変わりはないので、いざ診察が終わった後にはさらに疲れていたこともあり、正直何でもいいや、と思っていました。
診断書は2、3分ほどで走り書きをされた紙切れ1枚ですが、1500円くらいしたので(後で知りました)、とくに必要がなければもらわなくてもよかったかもしれません。(もらわないほうがいいということではありません。)
(うつにまつわる病名や判断のされ方、それを取り巻く状況については、後日のブログで詳しく個人的な考えをまとめようと思っています。)
最後に、性格分析のアンケートをさせられました。
50問くらいの項目があるやたら長いアンケートでした。
アンケート結果は次回の診察の際に告げられたのですが、ざっくりいうと、
あなたは優しく気を遣い、自由奔放さが小さい性格なので、ストレスを溜め込んでしまう。だから自由奔放さを高めなさい。
ということでした。
そんなことは、言われなくてもわかっている。性格なんて変えたくても簡単には変えられません。
というか、それができてればこんな状態になってないじゃんか、と…。
さて、心療内科でのドキドキの診察を終えて一息ついた後の正直な感想としては、「案の定だった」ということでした。
アンケート内容もしかり、過労だとか、仕事をやめたほうがいいとか、自由奔放さを高めなさいとか、、、大体のことは、まぁそうだよな、と思ってしまいました。
なので裏を返すと、
「考えすぎはよくない」
ということだと思います。
と言っても、どうしても冷静でなくなり考えすぎてしまうのは仕方がないことだと思います。
自分は冷静だと思っていても、いま思うと冷静じゃなかったんだと思います。
深入りはよくないとはわかりながらも、スマホでめちゃくちゃ調べたりもしていました。
それでも結果は「案の定」
良くも悪くも気が抜けました。
自分は心療内科を受診して、果たして本当に、うつ病と言われたくなかったのか?本当はうつ病と言われてほっとしたかったのではないか?
それは今でもわかりません。
心療内科に行くまでの状態になっている人は、どれだけ考えても冷静な判断をできている可能性は低いんじゃないかと思います。
大事なのは、結果が自分の考えと合っていても合っていなくても、自分がどんな状態であるかを客観的に見てもらうことであり、その機会を設けること。
そのためにとりあえず心療内科へ行くというのは、選択としては間違ってはいないと感じました。
そんなこんなでついに心療内科を受診してしまった僕は、良くも悪くもそこからさらに状態が悪化していくことになります。
次回は僕の逃亡生活について書こうと思います。
つづく
※記事の内容は、あくまで個人的な知見です。
うつの経緯② 病院巡り
こんばんは。かめと申します。
前回は僕がうつになった経緯のうち、仕事〜発症までを書きました。
今回はその後の経緯として、病院巡りをしたことについて書こうと思います。
精神科の病院を受診することは、なかなかにハードルが高いとよく聞きますよね。
僕が右往左往しながらも最終的に心療内科を受診するに至るまでのお話です。
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仕事のし過ぎである日突然頭がまったく動かなくなってしまった僕は、ひとまず数日間のお休みをもらいました。
小さな会社なので有給休暇などの休みの制度もなにもなく、幸い臨機応変に休むことができました。
さて、こんな状態になったことは人生初めて。
頭痛が酷かったので、まずは最悪のパターンを想定しました。
脳内の致命的な障害などがあってはえらいことになると思い、頭痛のお医者さんへかかろうとしました。
しかし頭痛になった場合、どの診療科にかかればいいのでしょうか?
頭痛というのはとても曖昧なもので、何科にかかればいいかわかりませんでした。
調べてみると、頭痛外来、神経内科、脳神経外科などの選択肢があるそうです。
幸い近くに頭痛外来を設けている病院があったのでそこへ行きました。
頭痛外来というのは、頭痛を専門に扱う診療科のことです。
とりあえず原因のよくわからない頭痛の場合は、頭痛全般を扱ってくれるので頭痛外来がよさそうでした。
頭痛に関するアンケートを行い、その後診察。
診断は「緊張型頭痛」ということでした。
頭痛はまずはじめに2種類に区別されるようです。
緊急を要するものか、そうでないか、です。
判断基準は以下の3つでした。
・急な激痛
・明らかな始まりがあったか
・痛みが徐々に増しているか
これらが伴う場合は、たとえば脳出血などの直ちに専門的な検査・治療が必要な頭痛のようです。
それ以外であれば、とりあえずは慢性的な頭痛であり、代表的なものに偏頭痛や緊張型頭痛があります。これらはゆっくり治療をするものになります。
緊張型頭痛というのは何かというと、ストレスなどにより頭の筋肉が緊張をしたときに、慢性的にジーンと締め付けられるような弱い痛みを感じる頭痛のようです。
とりあえずは過労とストレスで頭の筋肉がこわばっちゃっている、という診断でした。
ひとまずは緊急を要するものではなさそうだったので一安心。
が、数日休んだところで何もよくならないし、
なんなら頭痛も酷くなってないか?とか、
もっと専門的なところのほうがいいんじゃないか?とか、
なんか古びた病院だったし先生もおじいちゃんだったしなぁ?(失礼すぎ)とか、
いろいろ考えてしまい、後日別の病院へも行ってみました。
今度はMRIなどの設備も整っているような、先生も脳の専門家で、もう少し専門的な病院へ行くことにしました。(初めに行った病院の先生は神経の専門家でした。)
しかし結果は、やはり「緊張型頭痛」。
さらに、たぶん「偏頭痛」ももっているようだね、と軽く言われました。
てきとーか!と思ってしまいましたが、焦っているのがよくないよと言われ、確かにそうだなとその場では納得しました。
おそらく僕の説明から、焦ってセカンドオピニオンを無駄に受けているということに気づき、こいつわかってないな、と思われたんでしょう。
セカンドオピニオンとして他の病院を受診するときは、あたかも初めて受診したと思わせるか、もしくは場所が近いなどまっとうな理由をもって受診をしたほうがよさそうだなと思いました。
お医者さんもとても忙しいし、人間ですから、医者を信頼しない患者さんなんだなと思われてしまうとあまりよろしくはなさそうです。
僕の場合はあえて素っ気なくしてくれたことによって、焦る必要はないんだなと少し冷静になることができました。
ちなみに「偏頭痛」というのは、ズキンズキンと刺すような痛みを伴う慢性的な頭痛のことのようです。
よく雨の日に「私、偏頭痛もちだから辛いんだよね〜」と友達が毎度言い訳のように語っていたのを思い出しました。
確かにずっとあったら辛いかも。
とりあえず2人のお医者さんから緊急を要するものではないと判断をされたので、じっくり休んで頭痛が治まるのを待とうと思いました。
しかしながら、待てど暮らせど、何も治りません。1週間ほど何もせず休んでも、体調は悪化する一方でした。
毎日床に這いつくばり、動けずゴロゴロするだけの日々でした。
頭痛に関する病院では単純な診察だけをされたのですが、自分自身、これは単なる頭痛だけではない、頭が、身体が、絶対にどこかおかしいことになっている!という謎の確信があったので、また焦りがつのり、性懲りもなくその原因を探るべく色々と調べてみることにしました。
インターネットで調べていると、行き着く先は「うつ病」という文字。
というか、原因不明のものはなんでもかんでもうつ病に当てはめられ導かれていくような仕組みにでもなっているかのように感じました。
ネット情報はこわいです。
しかしされどネット情報。今の時代、一般的な知見としてはネット情報もある程度は正しいとも思います。深入りはよくないですが。
よく見かけたのは「とりあえず心療内科へ行くことは悪いことでも変なことでもない。悩んでいるならいますぐ心療内科へ行こう。」というもの。
考えてみれば当たり前です。
とりあえず何か必死に安心をしたかったんだろうと思われる僕は、
確かにこの頭痛はストレスによるものだと病院でも言われたので、心療内科の病院にかかれば何か新しい知見が得られるというのは一理あるかもしれないなと思いました。
会社とも相談をして、心療内科へ行ってみることにしました。
冒頭でもお話ししましたが、精神科の病院へ行くというのはハードルがあるとよく聞きます。
「自分はうつ病なんかじゃない」と。
しかし、僕の場合は、うつ病かどうかというよりも、何か対処法があるかもしれない、という理由のほうが大きかったように思います。
なので精神科の病院へ行くことにさほど躊躇はなかったように思います。
ただし、へたに診断をされてしまうと、本当はそうじゃなくても病気だと思い込んでしまうのではないか、という懸念は強くありました。
なので病院で何と言われようと、一つの判断材料として受け取ろうと決め、かなり身構えていた気がします。
(ひねくれた患者だったなぁと思います…お医者さんは素直に信用しましょう。)
一概に精神科、心療内科と言っても、これまたどこへ行けばいいのかわかりません。
色々調べて、ストレスなどの場合はまず心療内科に行くのがよいということがわかりました。
〇〇心療内科、〇〇こころのクリニック
至る所で見かけますよね。
とりあえず近所の口コミ評判のよさそうな心療内科へ行ってみることにしました。
しかし、ひとつ落とし穴が。
予約がいっぱいで2週間待ち、、、
それどころか、他の近所の心療内科、どこへ電話しても数週間待ちばかり、、、
そう、心療内科はとても混むのです。
病んでる人どんだけいるんだよと無駄な心配をしてしまいました。
ネット情報の心療内科へ行こうキャンペーンが良くも悪くも効いているのかなと思いました。
幸い、住んでいる場所がわりと都会だったこともありたくさん心療内科があったので、少し移動範囲を広げたら予約が2日後に空いているクリニックを見つけられました。
僕の場合は家が都会だったことと、会社を休む制度がまだ緩かったので助かりましたが、田舎に住んでいて一般的な企業に勤め何日も休みの取れない人はいったいどうなってしまうんだろうと、疑問に思いました。
そしてついに心療内科へ受診する日が決まったのでした。
長くなってしまったので今回はここまでにしておきます。
つづく
※病院や病気の内容など専門的なことは、あくまで個人的な知見です。