うつの経緯⑤ 逃亡生活
かめと申します。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
皆さんが良い一日を過ごせますように。
前回は休養中の仕事との付き合い方について書きました。
今回は、休養開始からの逃亡生活について書こうと思います。
うつ病になった僕は、一度すべてのしがらみから逃げ出し逃亡をしてしまいました。
お恥ずかしいですがその時の経緯についてのお話です。
笑って読んであげてください。
※だいぶ心が荒んでいた時期なので記憶が曖昧です。思い出せる限りで書きます。
※文章の内容はあくまで僕の場合のことですので、人によって症状や対処法などは様々です。
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うつ状態が酷くなり仕事に諦めをつけざるを得ない状態になったことで、本格的に休養の日々が始まりました。
と言っても、まずは毎日ただ廃人のように眠るだけ。
うつもありましたが、身体にもかなりの疲労が溜まっていたので回復を求めていたのか、ひたすら眠りました。
おそらく2週間くらいは、ほぼ何もしていなかったと思います。
記憶がほとんどありません。
身体の疲労がある程度とれ少し動けるようになってからは、休んでいることに嫌気がさし、自暴自棄になっていました。
自分は一体何をしているんだろう?
という問いが常に頭に貼り付いていました。
そしてその頃から、
「誰にも迷惑をかけたくない」
という気持ちがとても強くなったのです。
元々子供の頃から性格的に、人に迷惑をかけないようにかけないように生きてきてしまった人生でした。
なので、この時の状況が耐えられなかったんだと思います。
何のしがらみもない、誰にも迷惑のかからないところへ行かなければならないと思ってしまいました。
(これって今思えば軽い希死念慮的なことだったのかもしれませんね…)
僕はこの頃、社会人になったにも関わらず、祖母の家に住まわせてもらっていました。
祖母とは学生の頃から、かれこれもう10年以上も二人暮らしをしています。
職場が近いというのと、祖母が一人では心配だというのが一応の理由ですが、
正直を言うと、僕の稼ぎが少ないという理由が根底にはありました。
祖母は、このような状態になってしまった僕を、とても心配してくれました。
しかし、ただでさえ住まわせてもらっているのに、働けもせず、迷惑でしかない状況。
これ以上心配をかけたくない
これ以上迷惑をかけたくない
という思いが日に日に募りました。
実家に帰っても親に迷惑がかかる。
パートナーのところに転がり込んでも、迷惑がかかる。
友達にもこんな状態は見せられない。
誰に相談するにしても、どこかで繋がっていて、仕事や将来のことを考えざるを得ません。
何のしがらみもない、誰にも迷惑のかからないところへ行きたい。
そして僕は、ひとり旅に出ようと思いました。
といっても、どこにも行くあてがありません。
するとその時、友達の中でも、他との関係がほとんどない友達がいることを思い出しました。
他にあてもないので、とりあえずその人に相談をしてみることにしました。
いきさつを色々話し、いまの状態をさらけだしました。
その友達は、過去にもうつと関わったことがあるらしく、広い心で受け止めてくれました。
そして僕は、家族には疲れを癒して今後のことをしばらく考えたいから旅行に行くとだけ伝え、
実際にはその友達の家に転がりこませてもらうことにしました。
すべてを投げ出し、逃亡したのです。
すべてのことから、逃げたのです。
その友達は、基本自由に過ごしていいよと言ってくれたので、遠慮なくお言葉に甘え、毎日をゆっくりと過ごさせてもらいました。
友達も気を遣ってくれて、何も聞かずにそっとしてくれていたので、何も考えずにゆっくり過ごすことができました。
本当に何も考えていなかったので、あまり覚えていません、、、笑
その頃はちょうどサッカーのワールドカップが開催されていました。
僕は幼稚園から高校までずっとサッカーをしていたので、ワールドカップの試合だけはかかさず観ました。
日本代表が活躍し盛り上がっても、気分はちっとも盛り上がりません。
あとはひたすら眠ったり、
友達の家にある漫画を読んだり、
DVDを観たり、
出歩ける日には外食をしたり、
漫画喫茶へ行ったり、
外でひたすらぼーっとしたり、
友達に付いて人生初のパチンコに行ってみたり、
お風呂にもろくに入らず、髪や髭も伸びっぱなしで、
なかなかのクズっぷりでした。
何の縛りもなく、何の目標もなく、何のやる気も出ず、生きることに意味を見出さず、ただただつまらない毎日を送り続けました。
一体こんなところで何をしてるんだろう?
人生どうなるんだろう?
まぁどうでもいいや、
と毎日思いながら。
そんな生活を1ヶ月ほど続けました。
ある日、その日は病院へ行く日でした。
病院に行く気力がないから行かなくていいやと言う僕を友達が励ましてくれ、
なんとか重い腰を上げ、電車に乗り病院に向かいました。
「以前と何も変わらないです。」
という一言だけの診察を終え、病院から外へ出たその時、
急に見ず知らずのおじさんに捕まえられました。
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手帳を見せられ、「〇〇署のものですが…。」
ドラマみたいなシーンでした。
急な展開すぎて目の前が真っ白になりましたが、側から親が出てきたので、状況を理解しました。
どうやら捜索願いが出されて、僕は警察に捕まったようです。
後日話を聞くと、どうやら、職場の所長と親が連絡を取り、心配性の所長が、万が一のことがあってからでは手遅れなので捜索願いを出したほうがよいのではないか、と提案をしてくれたそうでした。
親には心配をかけたくなかったので、数日おきにメールを送ってはいました。
僕としてはいたって普通の会話をしていたつもりでしたが、あまり大丈夫なようには伝わっていなかったようで、とても心配をしてくれていたようです。
毎日がぼーっとしていてあまり記憶がない日々でしたが、この時の母親の悲しみと安堵の混ざった顔だけは、鮮明に覚えています。
そしてそのまま、親の車で連れられ実家へ帰ることに。
このような憐れなかたちで、僕の逃亡生活は幕を閉じました。
今でこそこの時のことを冷静に思い出していますが、当時はわけのわからない状態だったと思います。
放心状態だった気もしますし、なんか言い訳がましく笑っちゃってたような気もしますし、激しい自己嫌悪状態だった気もしますし、とにかくわけのわからない心理状態でした。
親にも誰にも心配や迷惑をかけたくないがために逃亡生活をしていたはずなのに、
それが逆にこんなにも迷惑をかけてしまうことになってしまったことが、
たまらなく自分を責めることに繋がってしまいました。
もしも自分でも気づいていないような希死念慮のようなものがあったとするならば、結果的にはこうなってよかったのだとは思います。
親や祖母、パートナー、職場のみんなも安心をしてくれましたし、
頼らなかったことが、逆に心配をかけることになるんだと知ることができたのも、よかったとは思います。
ですが、このようなことになってしまったこの時の僕は、さらに落ち込むことになってしまいました。
せっかく初めよりは少し良くなってきたのかなと思っていたのに、まったく0からのスタートに戻りました。
いやむしろかなりマイナス状態からのスタートになってしまいました。
いま思い出しても、本当に恥ずかしい、、、
ただ、最後にひとつだけ書いておきます。
僕は、「死にたい」ということだけは考えてはいませんでした。
なぜなら、死ぬことは最も迷惑をかけてしまう行為だと思っていたからです。
「迷惑をかけたくない」ということが最も上位概念としてありました。
そう思っていれば死ぬことはないのでは?とも思っていました。
この考え方が絶対に正しいとは言い切れませんし、自殺願望と違って希死念慮という概念で考えれば、僕はたしかに無意識にどこかへ逃げてしまいたいとばかり思っていたので、いま改めて思い返せば、この時捕まっていなければ、ひょっとしたらひょっとしてしまっていたのかもしれません。(そんなことは考えたくもないですが。)
親には本当に感謝しています。
いつか絶対これでもかという親孝行をしてあげようと思います。
そして逃亡生活をさせてくれた友達にも、とても感謝しています。
いつか恩返ししよう。
ふぅ。この時のことは、思い出して書くのもちょっとしんどかったです…笑
この頃に比べたらいまはだいぶ良くなってるんだ、と思い込むようにしています。
いつかこの時期も良い経験だったと思える日が来ることを願って。
次回は、実家へ戻ってからの生活を書こうと思います。
つづく